最後の晩餐

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朝から作業をこなし、もうちょっともうちょっと、とやっていたら予定していた出発時間に。慌てて用意して、10分遅れで電車に乗り込む。

初めて品川に降り立ち、待ち合わせに間に合わなかったので、直接お店へ。今日はロシアから来ていたPavelが急遽帰ることになったので、最後に食事を、ということで。メンバーは他に八尋さんとT橋の2人。
会話はやっぱり95%以上英語。八尋さんはペラペラ、T橋は時々言葉が出なくなるが基本的に僕よりはできる。特に聞き取りは。僕と話すときは平易な英語で話してくれるPavelだが、英語がわかる人がいればやっぱりそのレベルで話す。大体の会話の流れは掴めたけど、半分くらいはわからなかったな…。
百式の地図なんかをあげたら喜んでくれた。it’s my treasureだってさ。アップ1000mはさすがにcrazyだと言っていた。
突然の帰国にはびっくりしたものの、前回も10月に一緒に福井に行って別れたが、年末からまた日本に来て再開できた。次も6〜8月くらいに来れるかもしれないとのこと。次会うときにはレースでも勝てたらいいな。

で、食事中にはビールを中ジョッキで2杯飲んだ。何故かいつもよりすんなり飲めた。でもたった2杯である。なのに妙に酔ったのか頭が痛かった。品川からの山手線が長いなーと思ってたら気持ち悪くなってきた。池袋に着いたとき、うまく歩けなかったけど、何とか下りねば、とふらつきながら下車。
しばらくホームで吐き気と戦いながら突っ立ってた。少し状態が良くなってきたので、まだ視界にパープルが混じってたり聴覚がおかしかったりしたけど歩き始めた。池袋線は1本見逃しても座って帰ろうと思ったのだが、次の電車まで20分くらいあって寒かったので立って乗車してしまった。
最初は大丈夫だったのだが5分くらいしたらまた気持ち悪くなって視界がパープルに染まっていった。遂に耐えきれなくなってその場に座りこんでしまった。座れば少しは楽だ。すると肩を叩かれ、何かと思えばサラリーマン風の男の人が席を譲ってくれた。すいません、と座らせてもらう。なんでこういう時ありがとうと言えないかな、僕は。譲ってくれた人はそのまま電車を下りていった。いつの間にか石神井公園駅に着いていたのだ。
座って何とか回復してきたものの、ちょっと意識が飛んだら下りる駅の次の駅を出るところだった。2つ隣の駅からまた引き返し、寒空の中に帰宅。

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この記事を書いた人

静岡県静岡市清水区在住のウェブサイト運営者。ネット上ではc-miya、orefolderなどの名前で活動しています。

ストレスに弱いので、できるだけ好きなことだけをして生きたいと思いながら生活しています。「楽しい」が優先順位の一番上に来るようにしたいですね。

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