今の僕って、怪我から復帰後であまり無理したくないというのもあって、恐る恐るトレーニングしていて、2日連続では走らないようにしている。なので週2回くらい走って、週末にオリエンテーリング、というトレーニング内容。筋トレはときどき思い出したようにやるくらい。
ここ2年くらいまともにトレーニングしてこなかったので(最初の1年はサボりだったけど)徐々に、徐々に量を増やしていく積もり。何よりも今、筋力が不足していると感じているので、筋トレはなるべくやっていきたい。
先に上に書いたこととも関連するんだけど、トレーニング時間について。僕は中学の頃は卓球部に入っていて、15:10もしくは16:10から19:00くらいまでが部活動の時間だった。着替えとか準備の時間もあったけど、ほぼ毎日2〜3時間も活動していたわけだ。まぁ、ずっと動いていたわけではないけれど。なぜ、それくらいの練習が今できないのか?
そりゃあ、中学生の頃とは時間の使い方が違う。でも、本当にやろうと思えば、それくらいの時間(1日2時間)は取れるのではないか。あの頃できて今できないのは、何が違うのか?
年齢的なこと、身体の変化、知識の変化もあるだろう。毎日やっていたら身体を壊す。急速も必要な練習だ。だけど、それは使う筋肉を分ければ、どうにかなるし、完全休養よりも軽く走ったほうがいいというときもある。まぁ、確かにあの頃(もう15年も前だ!)よりは身体の回復具合とかはだいぶ違うけれど。他に違うところは何だ?
中学の部活動というのは、自主的にやるというよりも、やらされていた部分が多いように思う。それは顧問の先生の指導計画だったり、先輩の指導やしごきだったりするわけだが、何はともあれそんな理由からでも、それだけの時間練習を行ったという事実はある。今は、別にトレーニングしなくても誰も何も言わない。誰かに言われてやることじゃない。でも、誰かに言われて(嫌々でも)やるのも、トレーニングの動機というかきっかけにはなる。
プロのスポーツ選手、特にチームスポーツなら、チームでの練習時間がある。それにより練習時間が確保される。もちろんそれをこなすだけな人はプロの世界でやっていけないと思うけど。僕のような意思の弱い人間にとっては、誰かが少しの強制力を持って練習させるような、そんな仕組みがあればもっとトレーニングできるんだと思う。大学時代の体トレや、つくば在住時に参加していた筑波大のスピトレなんかは、それに近いものがあった。あまり自分で考えなくても、それに参加していればある程度の練習時間は確保されるし、内容も他の人が考えてくれる。
意志の強い人は、その自分の意思でコントロールできるんだろうけど、僕のような弱い人間にはそういう強制力は有効だ。それに近いものとしてコーチはあるけど、オリエンテーリング会のコーチはあくまで選手が能動的に活用するもので(まぁ、こういう年齢レベルだと他もそうなのかもしれないけど)僕の思う強制力を持った指導者とは、ちょっと違う。
高校野球の監督にイメージされるような、強い(強制力を持つ?)指導者ってのも(少なくとも僕には)必要なのかもなぁ、と思う。好き勝手に練習やっていて強い高校野球部なんて、ないよね?
まぁ自分をコントロールできないということなので、自分(の意思)が弱いだけ、という結論。
自分の意思だけで、山の中でオリエンテーリングの練習を2時間やるのは難しいけど、メニューの決められた合宿なら、2時間とかあっという間にこなせる、というのも、似た話。