ふと、何の気もなしにですが、ぼんやりと、なんとなく、気付いてしまったのかもしれません。
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ここ1年と少し、会社勤めを辞めて自分のサイトの収入だけで生きていくようになって、様々な自由が生まれました。気が乗らなければいわゆる仕事のようなことをしなくても良い。何もしなければ先細りはするだろうけど、何もしなくてもとりあえずしばらくは生きていけるだけの収入が発生する状況。
何も縛るものがないので(だからこそ約束や予定で縛られることを以前よりも恐れている自分もあるのだけれども)何をしてもいい、しなくてもいい。では、と考える。
なんのために生きるのだろう
別の言い方をすれば、目標がほしい、とも。ただなんとなく毎日を過ごす、ただ生き延びる、それだけでは(まぁ悪くはないが)物足りない。生きる目標がほしい。そう思うことが増えていました。
気づいた自分の求めるもの
あぁ、これか、これが私の人生の目的なのか。特に何があったわけではないけれど、それに気づきました。その目的というのは「コンテンツを消費すること」です。大したことではありません。
人によって人生の目的は異なるでしょう。生物的に言えば種の存続、子孫を残すこと・守ることなのかもしれませんが、私はそれはほぼ諦めてますし。基本的に他人に興味のない私にとって、いちばん大切なのは自分であり、だったら人生もあくまで自分のものなのは当然です。
自由を手に入れた時、自分が何をしたいと思ったのか。時々考えていました。BIGでも当たって、収入も何の心配もないような状況になったら何をしたいのか。まぁいろいろありますが、基本的にはダラダラ過ごしたいなぁ、好きな漫画やアニメや何やらに埋もれて生きたいな、と。コンテンツに埋もれたい。それを思っていました。
単なる願望ではあったのですが、ふと「あぁ、それが人生の目的なのか。それでいいのか」と気づきました。何も変わってないのに、なんだか光が差したように感じた瞬間でした。
今までが無駄じゃなくなった
子供の頃から、ゲームや漫画は無駄なものとして扱われることがありました。大人になってからもゲームなんかは「ただのデータだし、何も生み出さにからやっても無駄」そんな意見も耳にしました。その時は「その瞬間楽しめているんだからそれでいい」「人のためになるとかお金になるじゃなく自分の癒しになる」とかそんなことを思っていました。
今、そういうコンテンツを消費することを人生の目的として捉えてみると、いろいろなものが逆転しました。何も生み出さないと言われたものは無駄ではなく、自分の人生の目的に直結したもの、回りくどくなく直接的な行為なのだ、と。逆に言えば、お金を生み出して、自分を成長させて、それであなたは最終的に何をしたいの?と。
この考え方は、今後の自分の人生がすごく楽になる気がします。漫画を読むのもアニメを見るのもイベントに行くのも、それは自分の人生の目的そのもの。無駄はなく、目的に向かって邁進しているだけなのだ、と。何かしらでお金を稼がなくてはならないのも、目的がはっきりしているのはありがたい。
そして先へと進む
もちろん、これは今の私がそう思っただけで、将来的に変化することはあるだろう。この時間を無駄だったと感じるかもしれない。それでも、今の私は人生の目的を得た。何にせよ、幼少期から思ってた「楽」という自分の根幹のようなものは変わらないだろう。
自分が何のために生きているのかわからない人は多い。ただなんとなく生きている人、忙しくて世界に振り回されているだけで精一杯な人、私は先に行くよ。
ダラダラのんびりとコンテンツを消費する楽しい人生へ。