青学高入試問題に元ひめゆり学徒「許せない」

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050611-00000001-ryu-oki
この記事の主旨はまた別に置いといて、この記事中の一文が気になった。

本村館長は「感想は多種多様だが、入試に出題し、子どもに答えを求め、出題者の考えで正誤を決めるのはおかしいし、許せない」と批判。

これ、前々から僕思ってました。国語の授業やテストで。小説やら何やらの一部分を読ませて、「このときの主人公の気持ちは次のうちどれか。」とか、「ここで筆者が言いたかったのはつぎのうちどれか。」とかいう問題、よくありました。で、その答えって、誰が決めているのでしょうか?ちゃんと主人公なり筆者に確認を取ったのでしょうか?問題出題者の解釈がイコール答え、ということになっている気がした。特に作者がもうこの世にいない作品が出題文のとき。

 たとえば、問題を出題して、作者に確認していなくて、正答が1番でも、回答者の9割が2番と答えたのなら、それは本当に1番が正解と言えるのだろうか?作者が回答しない以上、「〜と思われるもの」や「〜と一般的に考えられるもの」が正答になるべきであり、多数派の2番が不正解で少数派の1番が正解になるのはおかしくなる。というか、正答が多数決で決まるのも変だが。今でもこんな問題が出されているんだろうな…。

 ていうか、やっぱり表題のニュースとは全然関係のない話だった。

追記:
 キーワードから他の人のをいくつか読んだ。ちゃんとニュースに対して言及している。えらい。なお、自分は実際のテスト問題の英文を見ましたが、読んではいません。(英語、メンドイから。)

 まず、この英文中に出てくる「感想を書いた生徒」は実在するのか?なんか、記事の読みようによっては「こんな感想を書く生徒がいるなんて信じられない」というようにも読めてしまう。そう誤解する人もいるのでは?

 次に、英文で言われているように、ひめゆりの人たちが「話し上手」になっていないか?ということ。問題作成者が実際に思ったのかどうかは知らないけど、少なくとも文中の生徒はそう思ってしまったのだ。伝わらなかったのだ。もし現実がそうだったのなら、これも仕方ないんじゃないのかな?まぁ、

 島袋さんは「未来永劫(えいごう)の平和を求める『ひめゆりの心』で語ってきたし、伝わっているという自信はあったが…。わたしたちの心が分からない人に戦争の悲惨さ、平和、命の尊さをどう伝えればいいのか」と沈痛な表情。津波古さんは「今までやってきたのは何だったのか」と憤る一方「わたしたちの伝え方が悪かったのか。もっと工夫しなければならない」と述べた。

と言える人たちが「退屈な」話をするとは思えないのだけれど。

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この記事を書いた人

静岡県静岡市清水区在住のウェブサイト運営者。ネット上ではc-miya、orefolderなどの名前で活動しています。

ストレスに弱いので、できるだけ好きなことだけをして生きたいと思いながら生活しています。「楽しい」が優先順位の一番上に来るようにしたいですね。

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