良くも悪くも(多くは悪く)話題になってた映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」を見に行ってきました。単に一つのドラゴンクエストの映画というだけでなく、いろんな感情が頭を駆け巡るので感想を書いておきます。まとまってません。
最初に書いておくと、見終わった直後の感想としては「やり方が良かったのか悪かったのかはさておき、1つの映画、物語としてあれはあれでアリだと思う。ただ、悪い意味で騙された感はある」というものでした。「言い返せなくて悔しい」という感情も。
以下、ネタバレありというか一度は見ていることを前提に書いているので、見たくない人は読まないほうがいいです。
- 前提となる自分自身について
- 事前のネタバレやそれに類するもの
- 物語としてはアリ、だけど超えてない
- グラフィックや表現も悔しい納得
- 音楽は深い人ほど損をする
- やっぱり映画として成功してしまってる
- ユア・ストーリー
前提となる自分自身について
この映画を見た後、これで解禁とばかりにいくつかの感想やレビューを読みました。とくにブックマークしてなかったので、はてブの人気エントリーを日付さかのぼって探して読んだ程度です。
それらの中では、わりと立場や年代によって評価が異なるという人も多く(だけど書いてる人の属性はだいたい似たようなもの)、であるならば私も自身とドラクエ、そしてこの映画に対する自分の属性を改めて書いておいたほうが良いのかもしれません。
ドラクエと私
年齢はこの時点で40歳。ガンダムと同い年です。
ドラゴンクエストとの出会いは幼少すぎて覚えていません。ただ、最初の記憶は兄の友達の家で最初の「ドラゴンクエスト」をプレイしていたこと。ラダトームの城と街。
最初は何も持ってなかった主人公が剣や盾を手に入れると画面上の主人公にもそれが反映されるのが印象的でした。ここだけを何回も*1プレイしていたと記憶しています。
Ⅱの記憶はほとんどなく(でもやっぱりサマルトリアの王子に会うまでを何回かやった気もする)Ⅲは兄が買って、自分もやったけど友達の家に持っていったら冒険の書が消えてたのがショックでした。Ⅳはクリスマスプレゼントで買ってもらい、Ⅴは中学2年生、友達に借りて、夜中に両親が寝た後こっそり*2プレイしてました。
その後もナンバリングタイトルはⅩ以外はクリアまでプレイしていて、ⅧやⅨはドラクエのためにハードを購入しました。ただ、踏み込むのはそこまでで、小説版もすべて読破してるとかBGMをだいたい曲名まで言えるだとか、そこまでではありません。
- 幼少期の記憶なので、実際は多くて2,3回だと思う
- 当時、ゲームできる時間は決められてて、それだけでは満足できなかったので
ゲームやアニメ
少年時代からオタク寄りであり、中二病的なものでした。それらを創り出したいと思いつつもクリエイターにはなれず、努力もせず。
アニメ、マンガ、ライトノベル、そういったコンテンツにライトに触れつつ、同人誌などで二次創作のコンテンツにも触れています。エロとは別の、元のコンテンツを題材に自分の世界を展開するというタイプの二次創作、それを経験しているかどうかというのは今回の映画の評価に大きく関わる気がします。私はそれがあった、耐性が少しはあった…のだと思ってます。
事前のネタバレやそれに類するもの
この映画についてはなんとなく知っていたものの、最初は見るつもりはありませんでした。それが先日「天気の子」を見た時に予告編で興味を持ち、意外と公開日が近いのを知って見に行こうと思いました。
公開初日に見るつもりはなくて、木曜日のメンズデーに行こうと思っていたのですが、まぁ内容がこれだったので公開初日からTwitterなどでかなり話題になってました。ネタバレは嫌だったので感想記事は読みませんでしたがタイムラインに流れてくるものは抑えきれず。
流れてきたネタバレ的なもので重要だったのは2つ。
- ラスト15分でどんでん返し
- ラスト15分がひどい
- 大人になれよ
- 結婚相手はフローラ
…1つ、騙された…。まぁ私はビアンカ派なので良かったのですけれど。
「大人になれよ」のフレーズで思い出したのが大塚英志の「僕は天使の羽根を踏まない」でした。摩陀羅の完結編のようななにか、です。はっきり言って内容(結末)はもう覚えてないんですが、「裏切られた」「見放された」「捨てられた」みたいな喪失感のある物語(もしくは読者の感想)だったはず。
あー、これと同じようなことになるのかな、と頭の中で予想というか予防線が張られました。最近で言えばアニメのグリッドマンのラストのような、そんな展開もあるのかもしれない。
…と、まぁそんな状態で映画を見に行ったのでした。
物語としてはアリ、だけど超えてない
映画を見てる最中はいろいろ考えていたのだけど、最後に全てひっくり返されました。それは物語というか、それまでの評価が。それまでこの映画に抱いてた不満点が、最後のひっくり返しによって伏線だったと言い換えられてしまった。ぐぬぬ。
ドラゴンクエスト ユア・ストーリーは、導入をSFC版DQ5風の画面で語り、子供時代を地図上を移動しながら高速展開し、あっという間に
ぬわー
まぁ仕方ないよね。ドラクエ5の物語を100分少しの映画に収めるなんて、ガンガン飛ばさなきゃならないのはわかりきってるし、見に来る人たちもほとんどがDQ5をプレイ済みで、映画はそれを短い時間で追体験するようなもの。大事なところさえ見せてくれればいいんだ。
ただ、普通の映画でよくある「それから3年、僕たちは様々な冒険を繰り広げたんだ」みたいなダイジェストを1時間くらい見せられたような、ダイジェスト長いなー、という展開の早さとは逆に波なく進んでいく気はしました。
結婚イベントは若干の違和感を覚えつつ(制作側の思惑通り)ビアンカとフローラの可愛さを再認識しつつ、ビアンカの胸の谷間に目が行きつつ、わりと満足。
そしてあの最後の戦い(?)へ。
今まで見せられたものは主人公が遊んでたVRゲームだった。ラスボスはそのVRゲームのプログラマーが生み出したウイルス。主人公にこの世界がゲームだと暴露し、大人になれと言うウイルス。これを突然喋りだしたスラリンから出てきたロトの剣で倒して世界を救う。
今まで見てきたものが実はゲームの中だった。虚構の世界だった。ドラゴンクエストⅤの映画化と思ってみてたら実はそれはいわば劇中劇で別のモノを見せられてた。
なんだかんだ言って、この辺りの「騙された」感が強くて多くの人が不快感を出してるんじゃないかな。ただまぁ、自分としてはこれはこれでまぁアリなのでは、と思ってしまいます。
「◯◯の映画化」というと、「原作に忠実であること」が多くの場合求められます。実際は「原作に忠実に見え、それにさらに新たな媒体の力を加えたなにか」なんですけど。ただ、ゲームの、この場合はドラクエ5の物語を2時間に収めるなんて無理だし、やろうとしてもあの展開の早すぎるダイジェストを延々2時間見せられるだけ。それだったらせめて3部作くらいにしないと。監督が最初は映画化を断っていたというのも、納得できます。
なので「ドラクエ5を映画化」ではなく、「あくまでドラクエ5を原案、材料とした新たな物語」であれば2時間の映画として成立するのではないか。そういう意味ではアリだと思います。まぁ、予告とかではいかにも「ドラクエ5を映画化」に見えるので騙された感はあるのですが。
ただ、私が失敗だと思ったのはそのネタばらしが最後すぎたことです。それまで長い長いダイジェストを見せられて、突然の急展開。そしてあっという間にエンディング。この時間配分が良くなかった。せめて中盤、できれば序盤にそういう展開を持ってきて、メインの物語としては「これがゲームの中と知った主人公の、愛する妻や子どもに対する心の葛藤、そしてウイルスとの対決」とすればここまで避難されることは無かったと思います。まぁ「使い古されたメタ物語」と言われたり、エヴァQを見たときのような「これはなんだったのか?」みたいな混乱は生んだと思うけど。
最終的にはほかでも言われている通り「その内容だったらドラクエじゃなくても良かった」ということであり、まるでドラクエが人質に捕られたようなもの。それでいてドラクエの力に頼ってるところ、そういったものが怒りに繋がってるのかな?なんて思います。
…
ほかの人ほど自分が怒りを覚えず、これはこれでアリと思えたのは、やはり「僕は天使の羽根を踏まない」を経験し、元のコンテンツを題材に自分の世界を展開するというタイプの二次創作を経験してきたからなのかな?と。
そう、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」はドラクエ5を元にした二次創作と考えるとしっくり来ます。まぁ話のレベルとしてもその程度だよねぇ。それを商業でやるな、とも言えるけど。あぁ、なんか不意にエヴァの二次創作「RE-TAKE」の存在を思い出したぞ。あれも「元のコンテンツを題材に自分の世界を展開するというタイプの二次創作」として良かった記憶がある。
グラフィックや表現も悔しい納得
ディズニーやピクサーのCGのようだと言われる本作のCG、たしかに質感とかすごく良かった。でも、すごく軽いんですよね。重力がないというか。ものすごく不自然な偽物の動きをするんですよね。
映画を見ている途中では、やっぱりフルCG映画はこの重さの表現で偽物感が出るのかな、まだ技術が伴わないのかな?と感じてました。
しかし、あの展開により、これは本当に劇中のVRゲームの中の、つまり偽物の世界だったと知らされます。偽物の世界なんだから偽物っぽく見えていいんだ、それが仕様だ、設定だ、伏線だったんだ、と言えてしまいます。まぁ劇中の「現実」も同じCGで重さは感じなかったのですが、ほかの場面ほど動かないのでどうとも言えない。というかあそこだけでも実写にすれば良かったのに、と思いました。
CG以外でも、主人公の性格がかなり軽く、それまで抱いてたドラクエ5の主人公とかけ離れていたり、台詞回しでもおどけた表現がすごく違和感ありました。ですが、それも実はVRゲームをプレイしていた主人公の性格が出ていたという、いわば伏線だったんだ、と気付かされます。
結婚相手を選ぶときも、「じこあんじ」?で違和感あったものの、ビアンカに対してもそんなに交流の描かれなかったにも関わらず「本当の気持ち」で選ばれてなんだこれは?と。だけど後にVRゲームの開始場面で「いつもビアンカを選んでる」というセリフから、それが「本当の気持ち」に反映されていた(ドラクエ5の物語中の主人公の気持ちではなく、ドラゴンクエスト ユア・ストーリーの主人公の気持ち)と繋がるのに気づいたけど、なんだかそれも悔しい。
なんだか、映画を見ている中での不満に思っていたことが実は「これはVRゲームをプレイしていたという真実への伏線だったんだ」とされていきます。これが非常に悔しい。「お前が不満に思うことは知ってるしそれはこっちの手のひらの上なんだよ」とでも言われてるみたい。
子供時代がスキップされていったのも、現実には映画の尺の問題だったとしても、それを「VRゲームでそういう設定(子供時代をスキップ)にしてた」という設定にされてしまって、文句を抑え込まれてしまった感があります。
あー、悔しい悔しい悔しい悔しい!不満の吐き出し口を塞がれて悔しい!キーッ!
音楽は深い人ほど損をする
ドラクエにすっぽりハマってる人の感想を見ていると、「5以外の音楽、まぁ天空シリーズを使うのはいいけどそのほかのシリーズも節操なく持ってきておかしい」みたいな意見がよく見られます。
まぁ私はBGMはそこまで思い入れないのであまり気づきませんでした。アニメの感想なんかを見ても思うのですが、よく曲名まで覚えてるなぁ…と。
元に対する思い入れが強いからこその不幸ですね。ドラクエに思い入れがなければ(そんな人が見るかは別として)気にならないと思いますよ。
やっぱり映画として成功してしまってる
なんというか、ダイジェストで物語が進行しているときは、ゲームの方のドラクエ5をプレイしたい気分になってたんですよね。それこそ懐かしいと言う気持ちも込みで。
でも、最後まで見終わった後はそんな気持ちは吹っ飛んでました。
「◯◯の映画化」って、少なからずその「〇〇」の販促的な面もあると思うのですが、さすがにドラクエ5レベルになると、もうそんなのは気にしないでいいのかな?まぁ昨日までスマホ版ドラクエ5がセール価格だったけど。
で、販促を気にしないとなると重要なのは「映画としての評価」なわけですが、ここまで話題となっている段階でもう成功してしまってるんだろうな。賛否両論あって話題となる、見た人の感情を良くも悪くも揺さぶる。あー、これ一種の成功じゃないですかやだー。
ユア・ストーリー
いろいろ言われてますが、まぁ私は見に行って良かったと思ってます。少なくとも私は「これもまた一つの物語」として許容できる土壌を今までの人生で培ってきたので。
そういう土壌のない、きれいな人生を歩んできた人には、覚悟を持ってもらったほうがいいのかもしれませんね。周りの人やインターネット上の様々な感想まで含めて1つのコンテンツとして楽しむのであれば、面白いと思いますよ。
…
あーーーー…。ドラクエ映画、見終わってから悔しい気持ちやら何やら渦巻いていたのですが、まとまらないとは言え、ここにここまで書いてきて少しは落ち着いて来た気がします。やっぱり吐き出すのって大事ですね。