劇場版SHIROBAKO感想:なんだかものすごくモヤモヤしたので書きなぐる ※ネタバレあり

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2月29日から上映開始となった劇場版SHIROBAKOを見に行ってきました。もちろん映画として、SHIROBAKOの続きとして楽しめたのですが、終了直後からどうにもモヤモヤしたものがあったので書きなぐってみます。一応ネタバレあり、ということで。

…まぁ、ストーリーを詳細に説明するわけではありませんが、たぶんネタバレになってしまうところもあると思います。なので映画をまだ見てない人は、いや見た人も読まないでいいと思いますよ。ただ書きなぐって自分の中のものを吐き出したいだけなので。

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事前情報とあらすじ

映画があることは知ってたのですが、あまり情報を集めてなかったので「なんかキービジュアルに新キャラがいる」「劇場アニメを作るらしい」ということくらいの知識で映画館へ向かいました。

簡単なストーリー

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舞台はTV版から4年後、あれからムサニは順調に進んだかと思ったらなんやかんやあってやばい状態に。社長も責任とって引退。会社に残って朝礼にでてるのもみゃーもり含め数人という状態。メインの5人もそれぞれ別の場所で以前より少し成長してはいるけど、そこでまたそれぞれの壁にぶつかっている。

そんな中に企画会社とかのほうのゴタゴタで劇場アニメ制作の話が回ってくる。

モヤモヤした終わり方

何がモヤモヤしたのかというと、やはりラスト、終わり方なんだと思う。映画の最後はムサニの朝礼シーン。普段と変わらない人数でのまたいつもどおりの朝礼。そんなとても静かな終わり方だった。

一応、映画序盤の暗い雰囲気の中の朝礼とは違って、これからの未来を感じさせてはいたけど(それを対比させてたのだと思うけど)それでもやっぱり直前までの大人数でみんなで作ってきたところから急に元通りみたいな静かな朝礼で静かに終わってしまって、あれ?と。

俺たたエンドとは言っても、ちょっと静かすぎるなぁ、と。

劇中劇でラストが物足りないもう1分見たいから作り直そうという話になってラスト(1分どころじゃない)を作り始めるんだけど、この映画自体がその物足りないラストになってしまってる感がありました。劇中劇でそれを指摘してるからこそ、というのもあるけど。

確かに、1つ映画を作ったからといって急激に何かが変わるわけではないと思うけど、もう少しわかりやすく今後の希望を見せてくれても良かったんじゃないかな、と思う。ラストのホワイトボードに希望はあったけど。

なんとなく、ジョジョ5部の終わりを思い出したんだけど、あれよりももっと静かな朝だったよな、と。

今回は何を書きたかったのか

映画の冒頭はTV版1話の最初のカーチェイスを彷彿させるもので、セルフオマージュしてるからこその過去との対比が描かれました。敵役との対決?もTV版と似たものにしてるし、ラストのやり直しはあるぴんの描き直しを思い起こさせます。なんとなく、TV版と同じことやってるんですよね。そういう繰り返しを描きたかったのかもですが。

で、今回はこの劇場版で何を描いてきたのかっていうのを改めて考えてみたんですが、最初に全体的に落ち込んだ姿を見せて、そこから復活の決意を固める。もうここでほとんど全てなんじゃないかと思いました。あとはかつての仲間を集めてアニメを作っていくけど、この部分はわりと(多少の問題はありつつも)スムーズに進んで行きます。むしろTV版のキャラを再出演するためのサービスのようなものだったのでは。で、あと残ってるのは敵役との対決とラストの劇中劇くらいです。

うーん…。

TV版だと、わりとアニメの作り方というか、どんな仕事をしているのかを解説するように各役職を見せていたけど、それは済んでるので、というのもあるけどそれらは音階は流れるだけでした。あまりクリエーターの側を映してないよな、いや映ってはいるけど主題ではないよな、というのを感じました。

一番のトラブルになったのは、敵役の部分だけど、あれもよくわからない。げーぺーうーはなにをしたかったの?最初にもうほとんど仕事を放棄して、あのままムサニが引き受けなかった未来があったら、それで何の得があったんだろう?信用は落ちるし違約金みたいなものもあるだろうし。まぁ違約金については本編でみゃーもりたちが言ったように判子が押されてないから無効、みたいにするのかもだけど。ムサニ側でうまく回ってきて、そこからちょっかいを出してきたのは、まぁ目的がわかりやすいし劇中でも触れられてたからいいんだけど。

げーぺーうーの社長が実はTV版の茶沢の従兄弟とかで、ムサニへの復讐の手伝いのために仕組んだこと、とかだったらまだわかりやすくて良いんだけど。リアリティはないけど。

ムサニが劇場アニメを制作することになった原因はげーぺーうーにあるけど、そのあとのげーぺーうーとのバトルはあれ原因はむしろ権利関係しっかりやってなかった葛城さんが悪いようなものだよね。権利とか全部引き上げたとか言ってたのに。

なんらかの悪役を作りたかったのか、単にTV版オマージュのために必要だったのかわからないけど、どうにもげぺーうーの存在意義や目的がわからない。むしろ劇場版制作する予定も潰れてしまって夜逃げしたからムサニに話が回ってきた、というほうがアニメ的にもわかりやすかったんじゃないだろうか。アニメ的にはそのほうがありがちだけど、リアルのアニメ業界では今回のストーリーのほうがむしろありがちなんだろうか?

一応、全体を通してのいいたかったことは「諦めない」「悪あがきであがく」「続けていく」というようなことだとは思ったのだけど、けっきょくそれは物語の序盤、みゃーもりが決心した時点で言い終わってしまってるんだよね。だからあとはもう長い長いエピローグのようなもの。げーぺーうーとのバトルは蛇足物だったように感じました。

ゲストキャラ「宮井楓」の存在

劇場版のゲストキャラのような「宮井楓」というキャラクター。公式サイトでもメイン5人以外に唯一キャラクター紹介が出てるので、けっこう深く関わるのかな?(そういう劇場版用の特別なキャラってあまり好きじゃないな)と思っていたのだけど、出番がかなり少ない。何だったんだ?彼女…というくらい。一応げーぺーうーへのカチコミには一緒に行くけど、そこに至るまでの彼女の掘り起こしがまったくない。むしろその時まで存在を忘れかけていたほど。

登場時の、みゃーもりと食事→飲みのシーンだけは良かったです。うん、あれは良かった。

SIVAのラストのやり直し

わざとなのかなんなのか、SIVAの内容はほとんど見せないままラストへ向かいました。それでいてラストのコロニーみたいなところに戦艦みたいなものが突っ込んでるラストだけ見せられて、「悪くないけど何か違う」とやり直しに。劇中では「あと1分見たかったですね」みたいなセリフからやり直しに至るわけだけど、最終的に上がったものは1分じゃきかないよね。

え、最終的にできたもの、あれは良いとは思うけど、むしろその前のバージョンはそれがなかったというわけで、なかなかひどい終わり方だったんじゃないか、と。「悪くないけど…」どころではなかったのでは。

で、この作り直されたというシーン、けっこう褒めている人も多いのですが、うーん…なんというかそれなりにアニメオタクに寄ってる人の評価だよなぁ、という感じ。敵兵がめちゃくちゃいるのでそれを動かすのは大変そうだなとは思うけど、作画の良さとかそういうものは、分かる人にはわかるんだろうけど、一般人にわかりやすいものでもなかったと思うんですよね。

最後のずかちゃん演じるアルテのセリフは劇場版SHIROBAKOの方とも重なるので良いとは思うけど、これを加えたからこその良さ、というものがいまいちわからない感じだった。

TV版では、2話であるぴんの表情を描き直すとなって、その描き直し前のバージョンも映してる。そして3話のラストで描き直し後のシーンを映してどうなったのか比べられるようになってる。両方見ることで違いがよく分かる。でも今回の劇場版の直しはいまいち違いがというか元のバージョンがよくわからないのよね。劇中で移された部分だけだったとしたら、むしろ「良くない」だったろうし。

作り直されたラストという部分もやけに長かった。劇場版SHIROBAKOという作品内でのカタルシスはげーぺーうーへの殴り込み場面だったと思うけど、そこが物足りないだろうということで劇中劇のラストシーンをそれに変えるものとして持ってきたのだろうか?

印象に残ったシーン

モヤモヤするのがいろいろあったけど、良い方向に印象に残ったシーンももちろんあります。

1つはみゃーもりが決意したあと、ナベP改めナベ長と葛城さんとの会話で、葛城さんの言葉に「はい」「はい」と答えるところ。ナベ長が驚いたようにみゃーもりを見て、にゃーもりははっきりと「はい」と。葛城さんも驚いて「聞いた?宮森さんがはいって!」というところ。

ここが、それまでの曇り空だったストーリーを一気に晴れさせた感覚があって葛城さんとおなじようにみゃーもりが女神に見える。やっぱりここが今作の一番のポイントだったと思う。

もう1つは、ストーリーに詰まった舞茸さんが声優オーディションに来て、ずかちゃんの版で「ルーシーだ…」とつぶやくところ。作中で4年も経っているのに声を聞いてすぐにルーシーを思い出すのは凄いな。リアルでのSHIROBAKOでの評価はともかく、作中では最終回にポット出たキャラのほんの少しの部分なのに。それだけあの話が舞茸さんにとっても印象深かったのか、作中でもずかちゃん出世のきっかけとなったのか。

ああいう、自分以外の他の要素によって道が拓けるという演出もいいですよね。TV版での木下監督と野亀先生のやりとりもそうだけど、クリエーターの化学反応、みたいな。

もちろん、ミュージカルな部分だとかも印象的ではあるのですが、自分にとっては上記2点がすごく心に残りました。

やっぱりTV版がいい

劇場版という尺があって、さすがにそれで全員にムセ場を持たせるのはSHROBAKOには無理ってものです。ていうか今回メイン5人もみゃーもり以外は出番それほど多くないよね。一応それぞれが問題を抱えていて、少しずつだけどまた成長する姿は描かれるけど、わりとほかのスタッフに埋もれてる感はありました。TV版とはそこが大きく違うな、と。

逆に遠藤さんはちょっとフィーチャーしすぎだった感。しかも前半くじけていたときは出番多かったのにスタッフに合流してからはそれほど目立ってないし。ならなんであんなにフィーチャーしたんだ?という疑問。

TV版のように複数回に分かれてるわけではないから1人1人にスポットを当てることはできないので、やっぱりこういうのは劇場版よりはTV向きなのかな、と。

まぁ劇場版を全員集合のお祭り的なものと考えるのであれば、今回のように万遍なくTV版のキャラが出てきて作り上げていくのは良いんだと思います。

どうすればよかったのか

どうすればよかったのか、というよりは、どうすれば私好みになったのか、なんですが。やっぱりげーぺーうーとの対決部分は全カットして、その部分を(ラストの描き直し部分でもいいから)アニメ制作部分にかけてほしかったなぁ、と。もちろん「アニメを放送する、届ける部分」まで含めてアニメ制作ではあるんだろうけど。

見てよかったとは思ってる

とても、とてもモヤモヤしたものがあったけど、ちゃんと劇場版SHIROBAKOを見ることができて、4年後の彼ら彼女らに会えたことは嬉しいです。

とりあえず、モヤモヤしてたことはだいたい書いたと思うので、答えなんかなくてもこれで一区切りできると思います。見てよかった、書いてよかった。うん。

また今度は新しいTV版で会いたいものですね。

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この記事を書いた人

静岡県静岡市清水区在住のウェブサイト運営者。ネット上ではc-miya、orefolderなどの名前で活動しています。

ストレスに弱いので、できるだけ好きなことだけをして生きたいと思いながら生活しています。「楽しい」が優先順位の一番上に来るようにしたいですね。

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