2021年第24週、6月7日~6月13日。6月10日に、父が永眠しました。前々から覚悟していたことであり、急ではないのですが、ちょうど週末に家族で集まることになっていた矢先でした。
今週の動き
- 6/7(月)…8ヶ月ぶりにDiscover復活
- 6/8(火)…1時半に寝て、4時40分に起きた
- 6/9(水)…また早起き
- 6/10(木)…父が亡くなったとの報せ。実家へ
- 6/11(金)…葬儀屋と打ち合わせなど。写真を漁り、選ぶ
- 6/12(土)…新聞の訃報欄に父が載る。何人もの人が来てくれる
- 6/13(日)…通夜
父の死
6月10日に父が亡くなりました。その関係で10日から15日まで実家に。
葬儀や宗教のことについて、前に少しだけ家族で話していたこともあって、さらに父のパソコンから葬儀構想のメモのようなものが見つかり、それに少しは沿ったものにできたのでは。(個人的には故人のPCを開けるのはどうかとも思うのだけど、今回はそれでいろいろ助かった面はある。)
「宗教は嫌ってはいないが、縛られたくない」
父の終活メモ、葬儀構想に書かれていた言葉だ。この言葉は、自分自身ひどく納得した。自分の考えもこれに同じだ。(ただ、死の恐怖を紛らわすのに宗教は有効かもしれないという考えもある)
そうして、父の通夜や葬儀はお坊さんがお経を上げることもなく、賛美歌が歌われることもなく、その代わり父の音楽の友人が通夜の間ずっと歌ってくれて、音楽葬となった。来てくれた方々は多少の戸惑いはありつつ、こういうのもいいね、と言ってくれた。
通夜・葬儀の準備をして、多くの人が父の元へ来てくれて、そういった人たちや写真アルバムなどから父の昔を知り、そういうのを通して自分の人生についても考えてしまう。今の、人とのつながりがほとんどない私は葬儀に来てくれる人もそういないだろうし、こうやって振り返る写真もほとんどない。それは、やっぱり寂しいな、と。
家族と、自分の人生と死とを考えさせられる6日間でした。たぶん、1年以内くらいで清水に引っ越すことになるんじゃないかな。