2021年3月11日、ようやくシン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇を観てきました。私はそこまでエヴァに思い入れはないけれど、一応でもこれまで見てきたので、それがこれで完結するのかと思うと、感慨深いものもあります。
ネタバレあるかもしれないので、映画見てない人はこの先は読まないほうがいいですよ。
エヴァンゲリオンと私
最初の出会いはなんだったか。最初のテレビ放送が1995年だから、高校生の時だったはず。それは多分見てなくて、友達がビデオに撮ったものを少し見せてもらったのが最初だったと思う。
たぶん大学に入って、寮で友人からそのTVシリーズのビデオを借りて全編見たのだと思う。1997年か。その友達はエヴァのそのビデオをランダムに1秒くらい再生すると次のセリフが言えるくらいに何回も見ていた。
いわゆる旧劇は見てなくて、フィルムブックで読んだのだと思う。わけわからないという評判だけは聞いていた。
新劇の序・破も劇場では見ていない。配信かテレビ放送かで見たのだと思う。Qはオリエンテーリングの地図調査か何かの帰りに見に行った覚えがある。
それくらい、まぁファンとも言えないくらいの薄いものでした。いろいろ惹かれるものはあったにせよ。
終わるんじゃなくて終わらせようとしてる
別に深い考察とかがあるわけじゃなく、単なる感想。
最初は、あぁ、この劇場版で終わるんだな、とか、そうそうQはこんな終わりだったな、とかそういう単純に続きとして楽しんでいました。
終盤になる少し前くらいから、「終わらせる」というのが強く出てきた気がしました。まぁ劇中でも「けじめを付ける」とかそういう言葉がけっこう出てきましたしね。
あぁ、物語が終わるんじゃなくて、制作側がエヴァンゲリオンを終わらせようとしているんだな、という印象が強かったです。終わらせる意志、それがひしひしと。
思い浮かぶ他作品
最終盤では巨大な綾波が出てきて旧劇みたいだな、って思ったらあの辺りはまさに旧劇のリメイク家のような展開だったらしいですね。ループものっぽさを出したみたいな?
今回のシン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇を見ていて、頭の中に浮かんできたのは「Angel Beats!」と「摩陀羅」でした。なんか、主要キャラをひとりひとり見送っていくところがAngel Beats!っぽくて(というかここも旧劇にあったんでしたっけ?)最終的にエヴァンゲリオンのない世界へ進むのが摩陀羅…摩陀羅 天使編の最後…じゃない、僕は天使の羽根を踏まないの最後を思い出させる。
今回の映画を見終わって、彼らはケリを付けて、先へと進む。それを見て私には「自分も先へ進もう」ではなく「あぁ、また置いていかれた…。」というような悲しい気持ちがあった。
また、置いていかれた
もうネタバレは怖くない、と思ってはてなブックマークなんか経由で他の人も感想もいくつか読んだけど、最後で描かれたテーマを「現実に目を向けろオタク」みたいに捉えてる人もいるようですね。読んだ感想記事はそれを否定するようなものばかりだったけど。
このあたりは本当、MADARAシリーズの最期とも言うべき「僕は天使の羽根を踏まない」でも言われていたもの。
いや、アニメをオタクを否定するんじゃなくて愛のテーマだよ、という人もいます。でも、前に進め(てい)ない人には、やっぱり私と同じように「置いていかれた」感があるんじゃないかな、とも思うのです。
うーん…。
やっぱり、なんというか、制作側のメッセージが強く透けすぎてる感があるなぁ、と今更ながら思ってきました。何かを伝えたいクリエイターとしてはそれでいいのかもしれないけど、私はクリエイターの考えや壮大なテーマではなく、物語が欲しいわけで。
結末に関しても、彼らはこのあとどうなるんだろう、とか、彼らにとって良かったね、だとかそういう物が出てこず、悪く言えば道具にされた感?
…
まぁ、エヴァって昔からそんなものだよ。そう言われればそうなのかもしれませんけどね。
とにかく、これでエヴァンゲリオンのメインシナリオとしては一応完結したわけです。彼らなりのけじめを付け、終わりを迎えた、いや、終わらせたのです。
そして、また私は置いていかれたのです。